開平へ 2/2
2010/07/25 23:27
13:30
開平の目玉はあの楼閣。こんな寂れた街に用はない。
「津田さん、あの楼閣はどこにあるんでしょうねぇ ここからじゃ全然見当たらないようだけど」
「あの楼閣はここからさらに15分くらい車で移動したところにあるらしいですよ。ただ車がないからバイク・タクシーで移動するしかないですね」
「ほな、バイクタクシー見つけましょうか。とはいっても僕は北京語分かりませんので津田さん行き先よろしゅう伝えてください」
道に出て、一人のバイクタクシーの運転手を発見。バイクには客は一人しか載せられないから、2台のバイクが必要。運転手に「もう一人運転手を呼んでくれ」と頼む。
しばらくしてもう一台のバイクタクシーが来る。
「今から、華僑の謝一族の住まいであった立園に行き、その後楼閣のある自力村に。自力村から赤坎バスターミナルに4時半までに到着したい」
運転手「じゃ、一人80元で」
「はぁ?80元?高すぎるよ。60元だ」
「旦那、60元は厳しいよ。80元でなんとか頼むよ」
「小椋さん、どうします?」
「じゃ、間とって70元でどうでしょうか」
「こんな地方で70元でも高いですよ」
「10元くらいいいじゃないですか。貴重な時間だし、こんなところで交渉しても」
「小椋さんがそう言われるんでしたら… (バイクタクシー運転手に向かって) じゃ、70元で」
「わかりました」

どう見ても安全強度が疑わしいヘルメットをかぶってチョンと後ろへ。バイクの二人乗りなんぞしばらくしておらず、怖くて内股に異常に力が入る。降りて歩くと内股が痛い。
14:00
まずはゴールドラッシュで財を成し故郷に錦を飾った謝一族の家へ。入場料60元なり。
家とはいっても広大な敷地に一族が居住する4-5階建ての建物が5つ、野鳥園、綺麗に整備された庭、鯉が泳ぐ水路。


「さきほどの寂れた街と違って、ここは綺麗ですな」
「入場料60元とるだけのことはありますね。こういった地方の豪族の住居が保存されていくというのは珍しいのではないでしょうか」
「日本では宮家の古い住居が解体されるということで、話題になったことがありましたね」


「鯉はやっぱり富の象徴なんですかね。これだけ数がいると風情があるというよりは気持ち悪いね」
「中国人は住居にしても札束にしても、数で勝負!っていうところがありますからね。友達から聞いた話ですが、北海道のニセコに8部屋もある別荘を買った夫婦がいるそうですが」
「過剰に金遣いしないと文化は生まれないんですよ。たぶん裏では過剰に搾取してたりするんでしょうけどね。東大寺とかベルサイユ宮殿なんて過剰な搾取と過剰な金遣いの最たるもんですよ。でもあれは今では文化って呼ばれてる」
「部屋の数だけ多くても文化は生まれませんから、その夫婦にはもう少し頑張ってもらわないといけませんね」

待たせていたバイクタクシーに乗って、再び移動。タクシー運転手に待ち賃として10元せびられ、津田先生はおかんむり。
15:00

「おー ついに到着しましたね。開平楼閣です」
「世界文化遺産に登録されているだけあって、オモロイ形してますな。アーチ状の窓を採用しているところは、先程のコロニアル様式を取り入れてるみたいです」
大きな地図で見る
航空写真で見ても、周囲に商業施設らしきものは何もない。曲がりくねった川があるので水害から田んぼを守るために楼閣が利用されたという。また楼閣は盗賊から村を守るために見張り台にも利用されていたらしい。
「僕は奈良育ちなんですが、奈良県民すべてがそうというわけではないでしょうが、どうしても建物の新しい/古いを法隆寺を基準にして考えてしまうんです。法隆寺の建立は諸説あるものの西暦607年とされてますから、たとえばローマのコロッセオとかは建物として『古いなー』と思うのですけれど1000年前に出来た京都のお寺なんて新しいなって思ってしまうくらいで、100年前に出来た楼閣なんて『ごく最近の建物や』と思ってしまいますね。ちなみに僕の祖父の実家が120年前建てられた民家ですけど、僕の中では祖父の実家は『最近の建物』ですからね」
「その基準から言うと中国の建物はほとんど『最近の建物』ですね。文革で主だった歴史的建造物は破壊されましたしね」

この楼閣は上まで上れるようですよ。上ってみましょ。



「高いところに登ると、達成感ありますね… 外が暑いので頭がだいぶボーッとしてきましたが」
「この景色だけだと、南仏の古城に見えますね。それにしても暑い… 苦いアイスコーヒーをごくごく飲みたいですが、このド田舎ではそんな贅沢はできません」
「しかしそのド田舎の人たちがアメリカで一攫千金を狙っていたとは痛快な話です。鶏や豚に囲まれ素朴な暮らしをしていて、『アメリカ行こう』って思いますかねぇ。日本人とは根本的に行動原理が違うので僕自身も付き合い方に悩むことがありますが同じアジア人としてうまく付き合っていけたらいいですねぇ」

17:30
帰りのバスの中では津田先生の今後などの話をひとしきりした後、電池が切れたように二人とも寝てしまった。行きの3時間のバスがとてつもなく長く感じたのに、帰りはフト目を開けたら深センに到着していて狐につままれたよう。
開平の目玉はあの楼閣。こんな寂れた街に用はない。
「津田さん、あの楼閣はどこにあるんでしょうねぇ ここからじゃ全然見当たらないようだけど」
「あの楼閣はここからさらに15分くらい車で移動したところにあるらしいですよ。ただ車がないからバイク・タクシーで移動するしかないですね」
「ほな、バイクタクシー見つけましょうか。とはいっても僕は北京語分かりませんので津田さん行き先よろしゅう伝えてください」
道に出て、一人のバイクタクシーの運転手を発見。バイクには客は一人しか載せられないから、2台のバイクが必要。運転手に「もう一人運転手を呼んでくれ」と頼む。
しばらくしてもう一台のバイクタクシーが来る。
「今から、華僑の謝一族の住まいであった立園に行き、その後楼閣のある自力村に。自力村から赤坎バスターミナルに4時半までに到着したい」
運転手「じゃ、一人80元で」
「はぁ?80元?高すぎるよ。60元だ」
「旦那、60元は厳しいよ。80元でなんとか頼むよ」
「小椋さん、どうします?」
「じゃ、間とって70元でどうでしょうか」
「こんな地方で70元でも高いですよ」
「10元くらいいいじゃないですか。貴重な時間だし、こんなところで交渉しても」
「小椋さんがそう言われるんでしたら… (バイクタクシー運転手に向かって) じゃ、70元で」
「わかりました」
どう見ても安全強度が疑わしいヘルメットをかぶってチョンと後ろへ。バイクの二人乗りなんぞしばらくしておらず、怖くて内股に異常に力が入る。降りて歩くと内股が痛い。
14:00
まずはゴールドラッシュで財を成し故郷に錦を飾った謝一族の家へ。入場料60元なり。
家とはいっても広大な敷地に一族が居住する4-5階建ての建物が5つ、野鳥園、綺麗に整備された庭、鯉が泳ぐ水路。
「さきほどの寂れた街と違って、ここは綺麗ですな」
「入場料60元とるだけのことはありますね。こういった地方の豪族の住居が保存されていくというのは珍しいのではないでしょうか」
「日本では宮家の古い住居が解体されるということで、話題になったことがありましたね」
「鯉はやっぱり富の象徴なんですかね。これだけ数がいると風情があるというよりは気持ち悪いね」
「中国人は住居にしても札束にしても、数で勝負!っていうところがありますからね。友達から聞いた話ですが、北海道のニセコに8部屋もある別荘を買った夫婦がいるそうですが」
「過剰に金遣いしないと文化は生まれないんですよ。たぶん裏では過剰に搾取してたりするんでしょうけどね。東大寺とかベルサイユ宮殿なんて過剰な搾取と過剰な金遣いの最たるもんですよ。でもあれは今では文化って呼ばれてる」
「部屋の数だけ多くても文化は生まれませんから、その夫婦にはもう少し頑張ってもらわないといけませんね」
待たせていたバイクタクシーに乗って、再び移動。タクシー運転手に待ち賃として10元せびられ、津田先生はおかんむり。
15:00
「おー ついに到着しましたね。開平楼閣です」
「世界文化遺産に登録されているだけあって、オモロイ形してますな。アーチ状の窓を採用しているところは、先程のコロニアル様式を取り入れてるみたいです」
大きな地図で見る
航空写真で見ても、周囲に商業施設らしきものは何もない。曲がりくねった川があるので水害から田んぼを守るために楼閣が利用されたという。また楼閣は盗賊から村を守るために見張り台にも利用されていたらしい。
「僕は奈良育ちなんですが、奈良県民すべてがそうというわけではないでしょうが、どうしても建物の新しい/古いを法隆寺を基準にして考えてしまうんです。法隆寺の建立は諸説あるものの西暦607年とされてますから、たとえばローマのコロッセオとかは建物として『古いなー』と思うのですけれど1000年前に出来た京都のお寺なんて新しいなって思ってしまうくらいで、100年前に出来た楼閣なんて『ごく最近の建物や』と思ってしまいますね。ちなみに僕の祖父の実家が120年前建てられた民家ですけど、僕の中では祖父の実家は『最近の建物』ですからね」
「その基準から言うと中国の建物はほとんど『最近の建物』ですね。文革で主だった歴史的建造物は破壊されましたしね」
この楼閣は上まで上れるようですよ。上ってみましょ。
「高いところに登ると、達成感ありますね… 外が暑いので頭がだいぶボーッとしてきましたが」
「この景色だけだと、南仏の古城に見えますね。それにしても暑い… 苦いアイスコーヒーをごくごく飲みたいですが、このド田舎ではそんな贅沢はできません」
「しかしそのド田舎の人たちがアメリカで一攫千金を狙っていたとは痛快な話です。鶏や豚に囲まれ素朴な暮らしをしていて、『アメリカ行こう』って思いますかねぇ。日本人とは根本的に行動原理が違うので僕自身も付き合い方に悩むことがありますが同じアジア人としてうまく付き合っていけたらいいですねぇ」
17:30
帰りのバスの中では津田先生の今後などの話をひとしきりした後、電池が切れたように二人とも寝てしまった。行きの3時間のバスがとてつもなく長く感じたのに、帰りはフト目を開けたら深センに到着していて狐につままれたよう。

