開平へ 1/2
2010/07/24 23:37
昨年からよく一緒に遊んでいる弁護士の津田先生。8月いっぱいで、1年間の香港・中国遊学を終えて東京・銀座にある弁護士事務所へ戻る。日本に戻る前にどっか中国国内で一日旅行でもしましょうよ、ということになり広東省では数少ない名所であり、世界遺産にも認定されている開平(カイピン)の楼閣を見に行くこととなった。
香港から開平行きのルートはすべてバス。
湾仔(香港島) → 深セン(皇岗) → 赤坎 → 開平
大きな地図で見る
移動距離およそ300キロ、香港から片道6時間の行程である。昨年末に赤ちゃんが生まれてからというもの、土日も朝が早くなったがそれでも朝6時に起きることは滅多になかった。
予定通り6時に起き、眠たい眼をこすって湾仔から深センへ。深センで8時前に津田先生と合流。
08:00
「おはようございます。朝の空気は澄んでいて綺麗だなんて言いますが、深センは朝8時ですでに澱んでますねぇ」
「香港人から言わせれば、深センはHell(地獄)らしいですねぇ。そこまで悪く言うことないと思いますが」
「Hellだとは思いませんが、確かにカオスなところはありますね。11年前に私が初めて香港に来たときも、カオスだとは思いましたがそれと同じような感覚になってます」
「朝ごはん食べてないなら、ちょっと食べていきますか」
深センから開平へ行く巨大なバスターミナルの中にあるレストランで焼きそばを食べる。まぁまぁ美味しい。12元なり。

09:00
「遅れるとは思ってましたがやはり定刻通りには出ないもんですね。でも10分遅れでよかった」
「これを逃すと2時間待ちですから、早め早めの行動でちょうどいいんです。中国では何が起こるか分からない予測不能社会ですからね」
バスに揺られて一路、開平へ。バスの中で寝ようと思っていましたが、悪路を走るバスは文字通りジャンプしながら走り、座っているのに何かにつかまっていなければならないという状態。またクラクションが始終聞こえてうるさい。
「開平の楼閣については少し予習をしてきました。明の時代に襲ってくる盗賊を監視するために高いやぐらのような建物が建てられ、それは同時に襲ってくる水害を早く知らせるためにも役立ったそうです。
それだけであればハートをガシッと掴まれないんですが、開平という土地にぐっと来たのは19世紀に入ってからのストーリー。
19世紀の中頃にアメリカ西部のゴールドラッシュの人手が足りなかったので中国人がアメリカに出向き、現地で労働力となった後にアメリカで華人排斥運動が起こり、現地に住んでいた中国人は追い出されるように中国に戻っていった。吸収したアメリカ文化を見よう見まねで中国に再現したら、あんな楼閣になった」
「ゴールドラッシュというと、どちらかというとジーンズを履いた丸太のような腕の白人がガシガシ金脈を掘るっていうイメージですが中国人が一枚そこに噛んでいたなんてさすが、というか」
「資料を読んでないので分からないですけれど、排斥運動を受けた理由はおそらく華僑が商売上手だからだと思うんです。それって現代でも一緒ですからね。イギリスにフランスにスペイン。法定賃金以下の時給300円で毎日18時間働き、それを3年続けて商売の種を作ってまたカネを増やす。そうやって華僑は現地で巨万の富を現地で蓄積していますから。少し前はインドネシアとか、中国人を排斥しようとしてましたね」
「現代の労働意識に関しては内地では少し違いますよ。30代の管理職世代が一人っ子政策で甘やかされているせいでかつてのように熱心に働かない。スキルもないのに文句ばかり言って挙句の果てに辞めてしまうニート中国人が増えてきています」
「戦後の20年くらいは日本も安い労働力をアメリカに提供していましたけど、日本は労働力を提供する役割が終わった後の製品やサービスへの工夫の仕方すなわちクリエイティブを持ち得たからこそ高度経済成長期があったのでしょうね。中国人は真似ばっかりすることから脱皮出来るんだろうか」
「利にさとい中国人ですから、クリエイティブが必要な時代になればクリエイティブが得意な外人を社内に引きこんで商売するに決まってますよ」
「そりゃそうだ」

天気予報では「晴時々にわか雨」であった。体感的には気温32度くらい。香港よりも湿度が低いがそれでもジメジメとしている。3時間バスに揺られて赤坎バスターミナルに到着。
「ここらで一丁、写真撮っておきますか」 パチリ。

12:00
赤坎バスターミナルから開平へ。バス代は3元。バスの中には観光客とおぼしき人達が二人、現地の人達が四人。
「あれ?広東語らしき言葉が聞こえてきますよ」
「一応広東省ですから、広東語はかろうじて通じるようです。ただ現地語と広東語が混ざって使われているようで正直何言ってるのか広東語を使う香港人でもよくわからないということです」
「ところどころ、頑張ったら聞き取れるような言葉が聞こえますね」
「言葉というのは文化そのもので、文化は人のアイデンティティーの礎となりますから多言語国家の中国が一つにまとまらないのは分かるようなきがします。外的には一つにまとまっているように見せるために中央がどれだけの強権を使って押さえつけているのかも」
「広東語を理解してもらえれば、何だかほっとしますね。日本語を話す人がいればなおのこと」
開平到着。

「人… 居ないですねぇ」
「えぇ、観光地だからタクシーとか走っていてもいいんですけどねぇ」

「全体的に非常に寂れた街ですね。日本の熱海のような… 」
「18世紀に先人たちが頑張ってカネと文化を中国に持って帰ってきて、それ以降全然頑張ってないってことでしょうね。100年以上前に建てられた歴史的建造物というと聞こえはいいが、ほとんど手入れされていないようですね(苦笑)」

「これが街の中心らしいです。中国でコロニアル様式の古い建物を見るのはやはり奇異な感じがしますね。別世界というか。コロニアル様式の建物自体というよりは、中華思想を持っていたであろう中国人たちが、欧米の文化価値を追随したという柔軟さが見所なんでしょうかね」
「先生、それにしても川の水めちゃ汚いっすよ」
「中国ですからね」
「あの建物には現在でも人が住んでいますね。この辺りだとおそらく平均月給は月1000元にも満たないのでは」
「おそらく… 100年前のゴールドラッシュで稼いで帰ってきた先人華僑たちの月給と名目ベースで同じくらいかもしれませんね。水田はバスに乗って来る途中にいくつか見てましたが、それも大規模なわけでもなくこの土地で自給するくらいだろうし、それ以外には工場もないし、あるのは観光資源くらいでしょうが、その観光資源もギリギリで」
飴売り、竹細工、簡単な土産物売りが数えるほどしか居なかった。家々からはTVの音、麻雀に興じる人たちの声が聞こえてきた。東南アジア特有の牧歌的堕落情緒。
「津田さん、暑くなってきましたよ。スターバックスにでも入りましょ。オフィス仕事ばっかりしてるから、ホンマに体力続かなくていかん」
「こんなところにスタバなんてあるわけないでしょう」
香港から開平行きのルートはすべてバス。
湾仔(香港島) → 深セン(皇岗) → 赤坎 → 開平
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移動距離およそ300キロ、香港から片道6時間の行程である。昨年末に赤ちゃんが生まれてからというもの、土日も朝が早くなったがそれでも朝6時に起きることは滅多になかった。
予定通り6時に起き、眠たい眼をこすって湾仔から深センへ。深センで8時前に津田先生と合流。
08:00
「おはようございます。朝の空気は澄んでいて綺麗だなんて言いますが、深センは朝8時ですでに澱んでますねぇ」
「香港人から言わせれば、深センはHell(地獄)らしいですねぇ。そこまで悪く言うことないと思いますが」
「Hellだとは思いませんが、確かにカオスなところはありますね。11年前に私が初めて香港に来たときも、カオスだとは思いましたがそれと同じような感覚になってます」
「朝ごはん食べてないなら、ちょっと食べていきますか」
深センから開平へ行く巨大なバスターミナルの中にあるレストランで焼きそばを食べる。まぁまぁ美味しい。12元なり。
09:00
「遅れるとは思ってましたがやはり定刻通りには出ないもんですね。でも10分遅れでよかった」
「これを逃すと2時間待ちですから、早め早めの行動でちょうどいいんです。中国では何が起こるか分からない予測不能社会ですからね」
バスに揺られて一路、開平へ。バスの中で寝ようと思っていましたが、悪路を走るバスは文字通りジャンプしながら走り、座っているのに何かにつかまっていなければならないという状態。またクラクションが始終聞こえてうるさい。
「開平の楼閣については少し予習をしてきました。明の時代に襲ってくる盗賊を監視するために高いやぐらのような建物が建てられ、それは同時に襲ってくる水害を早く知らせるためにも役立ったそうです。
それだけであればハートをガシッと掴まれないんですが、開平という土地にぐっと来たのは19世紀に入ってからのストーリー。
19世紀の中頃にアメリカ西部のゴールドラッシュの人手が足りなかったので中国人がアメリカに出向き、現地で労働力となった後にアメリカで華人排斥運動が起こり、現地に住んでいた中国人は追い出されるように中国に戻っていった。吸収したアメリカ文化を見よう見まねで中国に再現したら、あんな楼閣になった」
「ゴールドラッシュというと、どちらかというとジーンズを履いた丸太のような腕の白人がガシガシ金脈を掘るっていうイメージですが中国人が一枚そこに噛んでいたなんてさすが、というか」
「資料を読んでないので分からないですけれど、排斥運動を受けた理由はおそらく華僑が商売上手だからだと思うんです。それって現代でも一緒ですからね。イギリスにフランスにスペイン。法定賃金以下の時給300円で毎日18時間働き、それを3年続けて商売の種を作ってまたカネを増やす。そうやって華僑は現地で巨万の富を現地で蓄積していますから。少し前はインドネシアとか、中国人を排斥しようとしてましたね」
「現代の労働意識に関しては内地では少し違いますよ。30代の管理職世代が一人っ子政策で甘やかされているせいでかつてのように熱心に働かない。スキルもないのに文句ばかり言って挙句の果てに辞めてしまうニート中国人が増えてきています」
「戦後の20年くらいは日本も安い労働力をアメリカに提供していましたけど、日本は労働力を提供する役割が終わった後の製品やサービスへの工夫の仕方すなわちクリエイティブを持ち得たからこそ高度経済成長期があったのでしょうね。中国人は真似ばっかりすることから脱皮出来るんだろうか」
「利にさとい中国人ですから、クリエイティブが必要な時代になればクリエイティブが得意な外人を社内に引きこんで商売するに決まってますよ」
「そりゃそうだ」
天気予報では「晴時々にわか雨」であった。体感的には気温32度くらい。香港よりも湿度が低いがそれでもジメジメとしている。3時間バスに揺られて赤坎バスターミナルに到着。
「ここらで一丁、写真撮っておきますか」 パチリ。
12:00
赤坎バスターミナルから開平へ。バス代は3元。バスの中には観光客とおぼしき人達が二人、現地の人達が四人。
「あれ?広東語らしき言葉が聞こえてきますよ」
「一応広東省ですから、広東語はかろうじて通じるようです。ただ現地語と広東語が混ざって使われているようで正直何言ってるのか広東語を使う香港人でもよくわからないということです」
「ところどころ、頑張ったら聞き取れるような言葉が聞こえますね」
「言葉というのは文化そのもので、文化は人のアイデンティティーの礎となりますから多言語国家の中国が一つにまとまらないのは分かるようなきがします。外的には一つにまとまっているように見せるために中央がどれだけの強権を使って押さえつけているのかも」
「広東語を理解してもらえれば、何だかほっとしますね。日本語を話す人がいればなおのこと」
開平到着。
「人… 居ないですねぇ」
「えぇ、観光地だからタクシーとか走っていてもいいんですけどねぇ」
「全体的に非常に寂れた街ですね。日本の熱海のような… 」
「18世紀に先人たちが頑張ってカネと文化を中国に持って帰ってきて、それ以降全然頑張ってないってことでしょうね。100年以上前に建てられた歴史的建造物というと聞こえはいいが、ほとんど手入れされていないようですね(苦笑)」
「これが街の中心らしいです。中国でコロニアル様式の古い建物を見るのはやはり奇異な感じがしますね。別世界というか。コロニアル様式の建物自体というよりは、中華思想を持っていたであろう中国人たちが、欧米の文化価値を追随したという柔軟さが見所なんでしょうかね」
「先生、それにしても川の水めちゃ汚いっすよ」
「中国ですからね」
「あの建物には現在でも人が住んでいますね。この辺りだとおそらく平均月給は月1000元にも満たないのでは」
「おそらく… 100年前のゴールドラッシュで稼いで帰ってきた先人華僑たちの月給と名目ベースで同じくらいかもしれませんね。水田はバスに乗って来る途中にいくつか見てましたが、それも大規模なわけでもなくこの土地で自給するくらいだろうし、それ以外には工場もないし、あるのは観光資源くらいでしょうが、その観光資源もギリギリで」
飴売り、竹細工、簡単な土産物売りが数えるほどしか居なかった。家々からはTVの音、麻雀に興じる人たちの声が聞こえてきた。東南アジア特有の牧歌的堕落情緒。
「津田さん、暑くなってきましたよ。スターバックスにでも入りましょ。オフィス仕事ばっかりしてるから、ホンマに体力続かなくていかん」
「こんなところにスタバなんてあるわけないでしょう」

