再帰性の社会
2010/01/31 23:25
社会学での用語で、社会のコンセンサスが薄まりなんでも個人の決断が求められる(個人の判断は、当該個人の行動を参照する)ことを「再帰」というらしい。
要するに何をやっても個人の判断でそれは個人の責任だということであれば香港はとても「再帰」的なところだ。(奈良県出身の私からすると)文化的に蓄積がなく、移民の町でもあるので東京を一層カオスにしたような感じ。
誰も、何も気にしていないように見えて社会として調和のかけらもないのだがそれがかえって心地よい。誰が何を言ってくるか、してくるか分からない社会というのは誰にも期待しないという諦めをうむ。
日本の「空気読め」というようなプレッシャーもないので何事もイチから考えて伝えなければならないという苦労はあるものの、他人が自由に行動している分自分も自由にモノを考えて行動することができる。
もっとも香港に住んでいる人間の誰もが誰も物分りのよい人達ではないから、自分の考え方や感じ方に合わなければ反射的に排除したりする人もいる。
日本の「空気読め」的なプレッシャーから開放されたのは自分の精神衛生上とても良いことだった。香港に来るまではそういうプレッシャーにさらされていたことすらも気付かなかったが。
検証可能なことではないけれども、この空気読め的な空気が出てきたのはここ50年くらいなのかなという気がする。年寄りと話していても空気読めというプレッシャーを感じたことがないから。
香港も若い人ほど空気を読みたがる傾向にはあるが、空気を読まなかったことに対するプレッシャーにはずいぶん軽いようだ。その代わり、「違う自分」を理解してもらえるかというとそれは別問題なのだが。
そういう理由からか、香港を住みよいと感じて日本に帰りたくない日本人が多数いる。いろんな人に「不便なところに住んで可哀相に」と憐憫の情をかけてもらえることもあるが、本人はいたって大丈夫なのだ。それどころか日本に帰ってもあのプレッシャーをまた感じなければならないことを苦痛にすら考えている。私もそんな日本人の一人。
要するに何をやっても個人の判断でそれは個人の責任だということであれば香港はとても「再帰」的なところだ。(奈良県出身の私からすると)文化的に蓄積がなく、移民の町でもあるので東京を一層カオスにしたような感じ。
誰も、何も気にしていないように見えて社会として調和のかけらもないのだがそれがかえって心地よい。誰が何を言ってくるか、してくるか分からない社会というのは誰にも期待しないという諦めをうむ。
日本の「空気読め」というようなプレッシャーもないので何事もイチから考えて伝えなければならないという苦労はあるものの、他人が自由に行動している分自分も自由にモノを考えて行動することができる。
もっとも香港に住んでいる人間の誰もが誰も物分りのよい人達ではないから、自分の考え方や感じ方に合わなければ反射的に排除したりする人もいる。
日本の「空気読め」的なプレッシャーから開放されたのは自分の精神衛生上とても良いことだった。香港に来るまではそういうプレッシャーにさらされていたことすらも気付かなかったが。
検証可能なことではないけれども、この空気読め的な空気が出てきたのはここ50年くらいなのかなという気がする。年寄りと話していても空気読めというプレッシャーを感じたことがないから。
香港も若い人ほど空気を読みたがる傾向にはあるが、空気を読まなかったことに対するプレッシャーにはずいぶん軽いようだ。その代わり、「違う自分」を理解してもらえるかというとそれは別問題なのだが。
そういう理由からか、香港を住みよいと感じて日本に帰りたくない日本人が多数いる。いろんな人に「不便なところに住んで可哀相に」と憐憫の情をかけてもらえることもあるが、本人はいたって大丈夫なのだ。それどころか日本に帰ってもあのプレッシャーをまた感じなければならないことを苦痛にすら考えている。私もそんな日本人の一人。

